鰐口(わにぐち) *長崎県指定有形文化財 昭和46年9月14日指定

鰐口とは、神社や寺院の軒に吊して打ちならす梵音具で、金口、金鼓、打金などともいいます。当山は、今福松浦家の祈願所で、松浦家の始祖、源久公を祀っています。

 

 鰐口は今宮神社の別当寺善福寺に松浦丹後亀童丸(後の直)が、正平10年(1355)に諸人合力し悉地円満を祈って寄進したものです。

 

 この資料は均整のとれた形の鋳銅製で面径30.5cmを測り、撞座の蓮華文はなく鉦鼓の面に似ています。釣手の耳は片面式で、甲面の針は薄く、眼や口の出は小さく古式であり、表裏の不整形な撞座は蓮華文を鋳成前に取りはずして製作しているようです。

 

 縁廻りに縦書きで、「奉懸善福寺権現鰐口一口大檀那丹後亀童丸合力上下諸人悉地円満」

 

「正平十年大才乙未五月日院主権律師良鑁金剛敬白」と陰刻した銘文があります。

 

 南北朝以前の在銘鰐口は少なく、作柄も良く、しかも歴史的に貴重な遺品といえるものです。

 

 

 


五輪塔は、菩提を弔うための塔婆(塔)の一つの形式で、平安時代中期前に密教(当山も真言密教の寺院です。)において創始され、鎌倉時代以後、各宗派に広がっていきました。

 

 

 塔の姿は時代によって異なっており、ここにあるものは、鎌倉時代から南北朝時代にかけてのもので、宗家松浦(今福松浦家)の武士を供養したものと思われます。

 

六地蔵の塔は、室町時代から江戸時代にかけて各地で多く造られました。

 

 地域、場所によって塔の姿は異なりますが、地獄 餓鬼 畜生 修羅 人間 天上の六道のそれぞれにあたって導いてくれるのが地蔵尊であると言うことから、六面に地蔵菩薩を刻むことを基本としています。

 

 今日も、市内各地に残されており、疫病退散等の信仰の対象となっています。

 


 

枩豊山額

本堂入り口正面に掲げられている「枩豊山」の看板は、江戸時代の1700年頃、今福松浦家23代源豊の助力を得て、中興開山し命名したものです。