おめぐり


『八十八ヶ所霊場』
当山には、裏山の愛宕山周辺を取り囲むように、四国八十八ヶ所霊場の石仏が祀られています。この霊場は、大正十四年に第三十四世実勝法印代に開眼建立された霊場であります。
弘法大師伝燈である本四国霊場のお加護を受け、九十数体の石仏を安置し、各石仏の前には本四国霊場より頂いたお砂が埋蔵(まいそう)されてあります。

 

当山八十八ヶ所霊場めぐりは、基本 毎月第二土曜日 午後1時30分からお参りいたしますが、お寺の都合で第三土曜日に変更する場合もありますので、檀家外でご参加される方はお寺へご確認ください。(1月と8月はお休みです)

 

現在蜂飛散、今年の台風9号10号による被害のため、お巡りは中止いたしております。 

 

パワースポット


境内中央にある自身を映す水鏡。

境内には百年以上前に雷が落ちて裂けても生きている二本の雷柿の木。まさに仏のパワー。

 

(いかずち)柿の木』の由来

 今から百年以上も昔、天空の仏が不作に苦しむ諸人を救わんと、雷神を伴い自らも雷神の姿となり、閃光(せんこう)轟音(ごうおん)を発し、境内の二本の柿の木に降りてこられました。

 

 雷神の姿となった仏が下った柿の木は、大きな衝撃で幹は裂けて、うろ(空洞)ができました。仏は、この柿の木が末永く生き続けることを確かめられたのち、柿の木の姿をした神として、又、うろの中では本来の仏の姿となって宿られました。

  これは、日本古来の神仏習合(本地(ほんぢ)垂迹(すいじゃく))のすがたをあらわしています。

 

 一方、雷神が下った柿の木は、幹は裂け皮の一部のみが残る、生きるには難しい姿になってしまいました。しかし、雷神は、自らの力を注ぎ込み柿の木の姿となって、今日(こんにち)も五穀豊穣を叶える神として座しておられます。

 農業国であった我が国では、昔から雷の光は稲を育てると信じられ、稲妻を発する雷は農業神として(あが)められています。

 神仏の力を秘めたこの二本の柿の木は、『(いかずち)柿の木』と呼ばれ、今も大切に守られています。

 

大銀杏

境内にある樹齢数百年の大銀杏。毎年見事な紅葉を見せます。

堂内での大護摩供奉修。厄払いや、諸願成就の祈願。(年3回)

・2月4日 [節分祭:10時と13時]
・7月15日 [大般若会:午前10時]
・12月第1土日 [善福よいつどい:18時から21時の間3回]

大正十四年に建立された職人の神、聖徳太子。

 

「聖徳太子と太子講」

 聖徳太子は、今から千四百年ほど前の飛鳥時代に、推古天皇の摂政として、十七条の憲法の制定や仏教の興隆、そして、遣隋使や多くの技術者の渡来による大陸の文化の導入など、国づくりに力を注がれました。

 

 この太子の像は、大正十四年(一九二五)に、本町の太子を崇める職人さんの集まりである太子講によって建立されました。

 

 このような太子講が盛んになったのは江戸時代になってからで、特に大工・屋根葺が太子を我が国の工匠の祖として祭り、年に一度の大集会を開いたことから始まったと言われています。

 

 今日もこの聖徳太子の像は、大工・左官等の職人さんの信仰の対象として大切に守られ、太子講により年に三回のおまつりが行われています。

 


※ 左右の石柱には、「今茲(この度)大正拾年者太子御入滅(亡くなること)一千三百年御忌ニ相當ス 依テ報恩謝徳ノ以微意(恩に報い徳に感謝する志を以て)本村職人一同.相.謀(相談して)永久ニ記念セシガ為石像一軀(一体)ヲ建立ス 大正十四年二月二十二日」とあり、加えて、善福寺住職・賛助者・世話人並びに多くの寄付者の名が記されています。

 

 

 

 

学問の神、菅原道真公が祀られている、天満宮。地元の篤信により大正十五年に建立。

大正十二年、当山八十八ケ所霊場設立の際に建立された、修行大師。

大正十五年に建立された、絶大な ご利益の不動明王。